Today's Notables 2009年07月

Nano Dispersions Technology 社訪問

代表取締役社長 古市 尚


さる4月上旬、米国に行く機会がありましたので、兄の時代から当社と親交のあるベネズエラ人のDr.グスターボ・ヌニェツ氏を訪問することにしました。ヌニェツ氏は昨年の8月に久し振りに日本に来られ、その際に今度は私が彼の会社を訪問することを約束していました。しかし、ヌニェツ氏が経営する会社はパナマ共和国にあり、そう簡単には行けません。しかし、そう思っていたらいつまでも行けない気がしたので、今回思い切ってパナマまで足を伸ばすことにしました。

私は当社の古いことにあまり詳しくないので、当社の80年史を開いてみると、社史に1991年11月に「オリマルジョン・プロジェクトを編成」とありました。このオリマルジョン・プロジェクトの中心人物こそが、今回訪問したヌニェツ氏なのです。ヌニェツ氏はベネズエラ人ですが、ベネズエラの大学を卒業後米国ミネソタ大学で機械工学の博士課程を終えられ、米国企業で数年働いたのち母国に帰り、政府主導のエネルギー関連会社で働かれていました。以前にもこの紙面でオリマルジョンのことを書いた記事が何度か紹介されているとは思いますが、新入社員もいることなので、改めて説明します。

ベネズエラには良質の超重質油が豊富にあり、オリノコ川周辺に埋蔵されていることから、オリノコタールと呼ばれています。ヌニェツ氏はオリノコタールと水を乳化してオリマルジョンという燃料を開発したチームメンバーの一人で、オリマルジョンは現在も火力発電所などで燃料として使われています。縁があって当社と巡り会い、当社がオリマルジョン乳化攪拌装置を製造することになり、それ以来ヌニェツ氏と親交があります。ヌニェツ氏はベネズエラの政治が安定しないことに失望し、2年前にベネズエラからパナマ共和国に本拠地を移し、ナノ・ディスパージョン・テクノロジー社(以下NDT社)を設立しました。

NDT社が位置するのは首都のパナマシティからクルマで20分位のところで、以前はアメリカ軍の施設として使用されていた場所です。パナマはスペイン、コロンビア、アメリカなどから政治的影響を強く受け、紆余曲折を経て10年前に3回目の独立を果たし、1999年、全土に主権をおよぼす国家として独立したばかりです。独立後、アメリカ軍の撤退により、使用されなくなったアメリカ軍基地の跡地を有効活用しようと、パナマ政府はそのエリアをシティ・オブ・ナレッジ(知識の都市)と銘打って、ベンチャー企業などを育成するインキュベーションエリアとして開放したのです。しかしながら、政府の肝煎りとあって入居の審査は非常に厳しく、かなりレベルが高い会社でないと入居できないとのことです。 NDT社はその名が示すように、ナノサイズの微粒化技術を研究開発する会社としてパナマ政府からそのポテンシャルの高さと将来性を認められ、シティ・オブ・ナレッジの一企業として設立されました。今回の訪問を機に、当社が企業使命としています「攪拌技術を介して各業界の技術革新に寄与する」ことのブレイン(頭脳)のひとつとして、さらにNDT社との関係を強化し、情報交換を密接に行っていくことをヌニェツ氏と約束しました。
パナマと言えば誰でも頭に浮かぶのがパナマ運河です。ヌニェツ氏のオフィスからパナマ運河までは歩いても行けるほどの距離で、パナマ運河にある3つの閘門(こうもん)のうちのひとつに連れて行ってもらいました。パナマ運河はスエズ運河の設計者であるフランス人エンジニア、レセップス氏が1880年にフランス主導で建設を開始しましたが、マラリアの蔓延や技術面、資金面で継続が困難になり、1889年に一度建設が断念されています。その後、アメリカがパナマ政府と条約を結び、1903年〜1914年の11年の歳月を掛けて完成させたものです。もう95年も前のものですが、現在も年間1万隻以上のタンカーや客船が利用するとのことで、年間250億円以上の収入を産んでいるそうです。現在は2007年に開始された増設が行われており、2014年の完成を目指して工事が行われていました。運河全体は全長80kmもあり、クルマを何台も載せた超大型タンカーなどが順番に太平洋からカリブ海へ、カリブ海から太平洋へと抜けて行く姿は壮大で見応えのあるものでした。

写真1:NDT社エントランスにて、ヌニェツ氏と
写真2:パナマ運河 閘門の風景

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