社報shinko〜親交〜 2010年10月号
会長レポート:日韓青年会議所経友会に招かれて
会長 古市 實
1962年4月、国際青年会議所アジア会議が大阪で開催され、私が日本青年会議所(JC)会頭として、提案した「日韓経済交流会議」が決定した時のことである。実はアジアの中でも日本と韓国は約40年近く領土支配の関係で、感情的に良き関係ではなかった。この点をJC運動で取り上げたのである。日韓交流の促進によって、お互いの理解を深めるための機会を作ろうと言うことで、毎年経済交流会議を持つ様になったのである。
JCは現役が40歳で終わるため、OBとなってからも「日韓経友会」の名のもとに、交流が続いたのである。日韓交流会議に関わった有志で、毎年1回相互に日韓の各地で集まり、工場見学、勉強会、ゴルフ会、懇親会などでお互いに交流を深め合っていた。ところが15年前の阪神大震災以来、不定期な会合となり、数年間文通のみの交流は続いていたが、5年前韓国側にお世話になり、今日まで約半世紀に及んでいる。韓国側の世話人として、当社が韓国進出時にお世話になった祐新貿易社代表の黄祐謙さんと全国経済人連合会名誉会長で東亜製薬株式会社会長の姜信浩さん、日本側は古野電気株式会社元社長(現常任相談役)の古野清賢さんと古市である。
今回は7月19日から21日まで、韓国側の招きでソウルで行われた。お互いに高齢となり平均年齢も80歳となった。メンバーも世話人以外に韓国側3名、日本側1名計8名となり、前回は5年前に韓国済州島で行われ、水産業を行っているメンバーの事業所を見学したのであった。今回の訪韓第1日目は「KOREA HOUSE」において宮廷料理をいただき、近況報告があり、姜会長が3年前に日本の天皇陛下から勲一等の叙勲を受けられたお祝いと小生の米寿のお祝い、古野さんの健康快復と全員元気で再会を祝して乾杯をしたのである。半世紀に渡っての長い友情をお互いに持ち続けた慶びは感慨無量であった。この別室が劇場になっており、約1時間余り民族公演を観劇して、ロッテホテルに送ってもらったのが21時であった。
翌朝は都市計画工事で1958年からアスファルトに覆われて、高速道路として利用されていた朝鮮時代からの「清渓川」が2003年7月から2年3カ月の復元工事で見事な生態河川に生まれ変わり、22の綺麗な橋や飛び石など多くの観光客が訪れる名所となった所を案内された。ランチタイムに私だけ、ソウル南ロータリークラブの例会に出席した。30年前に大阪北ロータリークラブ(会長時)と姉妹提携しているので、元カバナー朴鉉奎さんを表敬訪問したのである。
午後は姜会長の東亜製薬が本年7月、新築完了したばかりで、見学第一号として京幾道 上葛に完成した「新薬研究所」を見学させていただいた。世界一と言われる程に全面ガラス張りの明るい研究棟であった。地下2階地上4階の建物で、地下には研究用動物も飼育されていた。各種試験機械も多数設備されていたが、当社のホモミクサーは見当たらなかった。所長の話では「ほとんど国産です」と言われていた。この研究棟は4279坪でアメリカのファイザー社を設計した開放型デザイナー作で設計費も高かったようである。この新築研究所には109名の研究員がおり、消化器系医療品、糖尿治療薬、泌尿器系医薬品など5研究チームに分かれ、それぞれの研究分野で仕事をされいた。この地に従来ある「バイオテック研究所」では、治療薬、蛋白質、抗体医薬品、遺伝子治療剤を研究しておられ、「製品開発研究所」ではGeneric医薬品、改良新薬、一般医薬品などを研究しておられる。研究所組織図によると、研究本部として222名の研究員が全社で頑張っておられる。最も売れているのが、勃起不全、肝門脈、高血圧、前立腺肥大症、肺動脈、高血瘤、早漏症などであり、本年6月末の売上は11,095億ウォン(日本円で約888億円)で相当な利益を挙げておられる。会長の姜さんはいたって多忙で、年に数回来日されているが中々逢えない。ドイツで薬学の勉強をされ、欧米や日本の製薬業界とも関係が深く、特に大塚製薬さんとは古くから(1963年)疲労回復ドリンク剤(バッカス)の提携販売をされ、現在も抗癌剤で共同研究が進行中と聞いたのである。
東亜製薬 ソウル本社 |
東亜製薬 天安工場 |
有意義な「日韓経友会」で多くのことを学びましたが、紙面の関係で省略させていただきます。当社韓国ソウルオフィスにも立ち寄れず、朴鐘錫氏にも逢えなかったのは残念です。次回は来年、日本側で招待することになっています。
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