社報shinko〜親交〜 2023年10月号

浜松町「プライミクス看板」に寄せて

経営企画本部 業務支援部 人事総務課 課長

このたび、浜松町にあった当社の看板を降ろすことになりました。もともと特殊機化工業の時代に、東京営業所を浜松町に移し、その駐車場として利用させていただいていた土地に看板を立てたのがはじまりでした。2005年の社名変更も経て、新たに「プライミクス」のロゴを冠したこの看板は、山手線の電車内からも見える高さでしたが、屋外広告の維持管理責任有資格者が選任できなくなってしまったこと、そして、東京支社も田町に移転して、長らく浜松町に設置する縁もなくなってしまったことから、いよいよこの看板を降ろすはこびとなりました。半世紀近く、当社の社名を掲げていた看板に思いを寄せて、みなさんから思い出を寄稿いただきました。


■1997年営業になった当時、東京支社の営業車は3台でした。新人のお客様への訪問は、電車とバスを使用するケースが多く、JRの車窓から見えた「看板」には、いろいろな思いがよみがえります。お客様からも「JRから看板を見たよ」と言われると、何故か?うれしく思ったりもしました。その「看板」がなくなることは残念ですが、看板に負けない中身のある情報発信ができるよう、営業活動を工夫しないといけないと考えさせられました。看板の代わりになるように、がんばります。
カスタマー・リレーションズ本部 カスタマー・リレーションズ東京 部長

■東京支社が浜松町にあった頃、側にあった看板は、山手線、新幹線、モノレールと、どの電車からもとてもよく見え、絶大な存在感を放っていました。「いつも見かけているよ」とお客様に声をかけていただくことも多かったです。その後、事務所は田町に引っ越し、会社名も変わりましたが、いつの頃からか、お声掛けいただく機会がなくなっていました。スマホの普及で車窓から外を眺める機会が減ったからでしょうか。。。
カスタマー・リレーションズ本部 カスタマー・リレーションズ東京 副部長

■看板脇の現在立て替えているビルのところに以前の東京支社はありました。たしか6F建てビルの2階でしたが、中2階のため背の高い人はラジオ体操の伸びをする時に指先が天井に着いてしまうほどでした。看板下の駐車場には6台の車を停めていた為、隣の車とは10cm程です。看板上半分にあった株式会社エフ・エム・アイという会社は当社とは以前兄弟関係でした。その縁も有り容器底からカッターで粉砕するロボクープという食品用機械を顔料メーカーなどに好評でした。また株式会社エフ・エム・アイとは週末にビールとおにぎりを買い込み草野球の対抗試合などで遊んだもんです。
経営企画本部 乳化分散技術研究所 用途開発課

■残念です!!まだ、浜松町に事務所があった頃に東京駅に向かう途中、浜松町駅の手前に見えるカンバン、大阪に戻る時に、缶ビールを飲み始める時に見えるカンバン、決戦前に見える景色、業務終了の安ど感に見える景色。そのカンバンが、無くなりました。時代の流れですかね……そして、私も60歳となり時代の流れに消えていくのかと思うとさみしい限りです。さようなら!
カスタマー・リレーションズ本部 カスタマー・リレーションズ名古屋 部長

■浜松町にあるプライミクス(最初は特殊機化工業)の看板は、数十年前に新入社員で初めて東京支社に出張する時に看板を目印に行きました。当時は浜松町に東京支社があり、看板の隣のビルに事務所がありました。それからは東京支社も近所のビルに引っ越し、その後田町に引っ越し、看板も社名が変わって新しくなりました。大阪から東京に行く時に、新幹線のブレーキがかかる頃の丁度いいところに看板があり、東京に来たなと感じさせてくれたのを、今では懐かしく思います。
カスタマー・リレーションズ本部 本部長

■新幹線で東京駅を出発し浜松町駅の世界貿易センタービルを過ぎると右側、ちょうど目線の高さにこの看板が現れます。当時関連会社だった株式会社エフ・エム・アイさんの看板の下に青色に白字抜きの社名看板がありました。周りにあまり看板がなく目立っていたので、お客様だけでなく知人からも看板のことが話題に上がったりもしました。東京支社勤務経験者としては寂しく感じますが、また別の媒体で会社のPRができればいいなと思います。
技術管理本部 品質管理部 部長

最新情報
ニュースリリース
展示会情報
メディア掲載情報
社報shinko〜親交〜
Today's Notables

HOME > 最新情報 > 社報shinko〜親交〜 > 詳細

ページの先頭に戻る